どうも、おばんです。
予定表もらったんだけど退職日まではずっと引き継ぎのようです。
つまりは、もうトラック内で歌う機会はないってことね。
また日記長くなるかもなあ・・・
え?今更?
まあ、時間あったら読んでくれればいいよ。
何度か書いているけど、俺は今の会社に入っていなかったら物事に絶対はないという事を承知で言うが、100%ボーカルをやろうとは思わなかった。
だから、物事に絶対はないという言葉は嘘で、絶対はある。
最初は車内での眠気防止の為だった。
今の会社に入った当時は、カラオケなんて数年に1度しか行かなかったくらいだったし、音楽自体あまり聴いていなかった。
だから歌う曲も古い歌ばっか。
スピッツや吉田拓郎とかレパートリーとも言えないくらい歌える曲が少なかった。
しかも当然運転しながらだから歌詞を暗記してまでってのは、当時0だったかもしれない。
その状態から
「毎回歌う曲同じなのは飽きる」
と思って、久しぶりにツタヤのレンタルコーナーへ。
もう浦島太郎状態。
「男も女もアイドルしかいないの?しかも40何人もいるアイドルみたいなのいっぱいいるしナニコレ?」
状態。
ロックは死んだのかと思った。
正確には俺が新譜コーナーにいただけで、ロックのコーナーはあった。
コーナーはあったけど、全然知らないバンドばかりだったし、それよりも反対側にあったヒップホップの方が面白そうでそっちを借りてきた。
はい、すでにお気づきのように、車内で歌を歌って眠気覚ましになるどころか、ヒップホップは基本的にリズムが一定なので逆に眠くなる。
しかも、おれはリズム感ないんでラップやヒップホップは歌えない。
という脱線をして、何週間後だろう。
またロックコーナーへ。
今度はユーチューブで予習をして来た。
しかし・・・
ないのですよ、気に入ったバンドのCDが。
今なら買ってアイチューンに入れてメルカリで売っているが、当時は買うという発送がすでにない。
あんなに20代中頃まで狂ったようにCD買っていたのに。
仕方ないので、ロックコーナーでジャケット見て「おっ」って思ったアルバムに書いてあるバンド名をユーチューブに入れて視聴し、そして借りていた。
そうしているうちにトラック移動中の眠気防止の為の歌のレパートリーは増えていった。
たぶんこれくらいで1年半~2年いかないくらいかな。
声量「だけ」は身に付いた。
正しくはやっと中の上くらいの声量になった。
このあたりから、自分の曲を今歌ってみたらどんな感じなんだろう?
と思って押入れからMDを引っ張り出してきた。
(読んでいる人若かったらMDって知らないかもなあ)
そしてMDからパソコンへつないで取り込み、アイチューン→iPhone
歌は相変わらずそんなうまくなっていないなというのは自分でもすぐわかったけれど、声量がついたので、スッキリするというのもわかった。
ここから2年半以上自分の曲も歌いつつ、他のバンドやアーティストの曲もきちんと歌詞を覚えて歌の練習を始めた。
自分で作詞したのに自分で歌詞を覚えていないあたりに、俺の歌詞への関心度の低さがわかる。
でも、これは歌を歌うようになって気づいたんだけど、歌詞ってのも結構大事なんだなと、これまた今更感がある事を当時思った。
曲はたくさんあったけれど、時代と年齢の変化で、歌詞を修正しないと使えない曲もいくつかあった。
まだ直していないけれど、今後5~6曲は直さずそのまま使えるものを選ぼうとは思っている。
面倒だというのも性格上あるけれど、全く変える必要がなく今の時代でも通用するものもあって、まずはその辺をリリースしてから、歌詞を変えたり新曲出した方が良いのではないかと今は思っている。
俺の事なので考えは変わる可能性も大きいが。
え~っとなんだっけ・・・
ああ、歌の話だった。
約2年半くらい前は漠然とまたバンドやろうかな。
くらいだった。
でも結局メンバー募集しても人来なかったし、音楽仲間に声かけても休みの日が合わなかったりで難しかった。
そういう状況だったけれども、仕事ある限り歌の練習も続いていて、2018年からは2回目の声変わりをした。
声変わりというか歌を歌いすぎて声が枯れて、その状態のまま歌うのが普通になった。
今回発表する曲は出来るだけ声を枯らさない状態で綺麗に録ろうと思ったのだが、7月聴いてもらえばわかる通り、まあ枯れているかな・・・
会社の音楽好きな大先輩に聴かせたら、
「うん、声にディストーションかかってるね」
と言われたけれど、関東から転勤で来たものの、出身は関西の方なので冗談入りつつ多少大げさである。
流石にそこまでは歪んでいないと自分では思う。
こうして自分の歌を人に聴かせるなんて、バンドやっていた時は全く思わなかった。
俺の歌を知っているのは、バンドメンバーか親しい音楽仲間しかいなかった。
自分には小、中学生時代のトラウマがあり、人前で歌を歌うなんてことは出来ないどころか、人前で話す事も出来なかった。
だから今41歳で若き日の羞恥心というものが麻痺してなくなったのは、とても良い事だと思っている。
例によって長くなっている今日の日記だが、伝えたい事は2点だけ。
冒頭でも書いたように、今の会社に入らなかったら歌を自分で歌う事はなかった事。
そして、つまりは音楽活動を再開する事もなかったという事。
たぶん過去の思い出として、
「10代後半から20代は音楽しかやっていなかったなあ」
とたまに思い出して、そんな事もあったなと思うだけで終わっただろう。
まさか、その後40代にして復帰する事は、またこの言葉を使うが絶対になかった。
断言できる。
楽しくて、俺でも人並みに幸せを感じた結婚生活に、離婚、親のガン、そして転職。
全てここ最近の事だ。
この短期間に人生の分岐点が一気にやって来た。
音楽復帰もそのうちの一つ。
もうすでに予想できなかった事がいくつも起こっているし、これから先どうなるか、まだ2019年は半分以上残っているけれど、全くわからない。
俺自身の根本的な考えは変わらず、生まれたら必ず死ぬ、んじゃそれまでなるべく楽しい事をしていればいんじゃないの。
というのがあって、あとは人生面倒くさいが小学生の時から座右の銘みたいなもんだから、この先も変わらないだろう。
その中でも、どうしても音楽とは縁が切れないようだし、俺はこれしか才能がない。
残念ながら世間一般で言われる普通の人というものには、いくら努力してもなれないようだし、じゃあ自分の特技を活かすとなれば結局音楽しかない訳で振り出しに戻った。
数を忘れたくらい転職を繰り返し、たどり着いた今の職場で学んだ事はとても多い。
最初は
「週に1回程度40キロ程の重量物を扱う作業有り」
と求人に書いてあったけど、深夜勤務の友人たちの時給より200~300円高いし。
青森でこれ以上の時給は見た事がなかったので応募した。
その時面接してくれた所長は去年転勤で故郷の札幌に帰ってしまったけど、面接1時間くらいして8割がた海外サッカーの話しかしていなかった。
サッカーの話しかしていなかったがその場で受かった。
そして週1回程度40キロは全くの嘘で、1000~2500キロをフォークリフトでトラックの入口につけた後、人力でトラックに積み込み、運転して廃棄場に、またその1000~2500キロを人力で捨てる仕事だった。
その頃の俺はフットサルを怪我して辞めて、2年で30キロという力士並みの太り方をしていたので、相当きつい仕事だった。
今は体重も落ちたし脂肪が筋肉に変わったが、それでも毎回きついし40超えてからは、身体のあちこちにガタが来始めた。
だから、この転職も転機なんだろう。
どう考えてもいくら時給が高くても65歳までこの仕事が出来るとは思えないし、その前にパートだから若い人入れ替えるだろう。
自分で言うのもなんだが、パートだったけれど、正社員で働いていた会社いくつかより、今までの人生で一番真面目に働いたと思う。
正直やりたくない嫌な仕事も、俺やりますよと引き受けた。
人間関係も良かったし皆、仲間、家族みたいな職場だった。
ただのパートなのに、困った事があると自分の事のように心配してくれたり、今回送別会までしてくれるようだ。
上司は有休全部使わせてやりたいと所長に話し、忙しい中、引き継ぎのスケジュールを作りつつ、うまく調整してくれた。
俺は何をやっても無駄に器用だったせいで、浅く広く適度にこなし、中途半端で終わることが多かった。
いや、全部中途半端だったかもしれない。
音楽も含めて。
だからこんなに人に認められたり、受け入れられた事がなかった。
恩返しをしたいと思っても、7月で会社を辞めて違う会社に行く事はもう決まってしまっている。
それに今の段階で出来る恩返しというのは、せめて自分の穴を埋めてくれる2人に、出来るだけ多くの事を引き継ぎする事しか残っていないと思う。
季節ごとの決まった仕事は教える事は出来ないけれど・・・
6月は本当に1人の時はない。
引き継ぎする2人のどちらかと必ず一緒に行動するようにスケジュールが組み込まれている。
この前書いたけど、俺は人に物事を伝えるのは苦手だ。
でも、引継ぎが始まって、少しずつ段階を踏んで教える事が前より出来るようになっていると思う。
まだ1ヶ月以上あるし、出来る限り伝えたい。
これも苦手を克服するチャンスだ。
あと、違う会社に行けば、そのうちあまり連絡は取らなくなるだろう。
これは、どうしても仕方がないと思う。
友達同士だってそうだ。
過去の人より今の人を大事にして、会社の売り上げを増やすというのは当たり前の事だし。
じゃあ、普通に皆が働きながらでも俺は元気にやっているというのを伝える為にも、音楽の力は必要だなと思う。
LINEでもSNSでもいいや、誰か見てくれれば今回の7月7日の曲だけでなく、その後の曲も聴いてくれて伝わると思う。
嫌でも耳に入るように、俺が結果を出せば良いだけの話だ。
歌を自分で歌うようになり、音楽をもう1度やろうというきっかけをもらった会社だ。
結果を出した際には、「あれは、前にうちで働いていた人の曲だよ」と自慢してもらえるような存在になろうと思う。